日々の記録

日記形式で文章を書く練習

説得と共通理解の平原で

人は他者を真に説得することができるか?説得にはいつも力とか脅迫とか静かな暴力が眠っている。わからせるというニュアンスが強すぎる。これではとてもやりきれない。論理の壁をずかずかと打ち破って差し迫ってくる。別の世界の論理に再接合するために。説得することは戦争を仕掛けること、そして無条件降伏を要求することである。説得という名の植民地政策。一体あなたは何の権限をもってわたしに降伏を命じるのか。なぜわたしはすべての権利を放棄し、あなたの専制君主制に従わなければならないのか。説得はいつもこんな調子だ。互いに説得し合っていつかは共通理解が得られると考えるのは、わたしとあなたが寸分違わず同じ思想や思考形式を持つと考えるのと同じくらい馬鹿げている。だから、私は誰にも説得されないし、誰に対しても説得しようなどとは思わない。

説得をすることなしに共通理解を結ぶこと。共通理解とは契約だ。わたしのあなたに対する生成と、あなたのわたしに対する生成がある。その間で結ばれる一つの契約。相手の国に侵入するのではなく、鉄道を敷くこと。降伏ではなく市場を形成すること。それは同じ思想を二人が担ぐことではない。絶えず流れる川を二人の間に引くこと。共通理解とは一つの作品ではない、それは炎だ。あなたはその火が消えないように薪を焚べ続けなければならない。

そういうわけで、最初の質問にはあまり意味がない。説得することは服従させることであり、共通理解を得ることは契約を結ぶことである。ここにはただ服従と契約の選択があるだけだ。